明治の婦人がルーツ?「夜会巻き」ってなに?

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A.「夜会巻き」とは、舞踏会やパーティーなどの夜会で主にドレスに似合うように結い上げられた女性の髪型のことです。明治の婦人がルーツと考えられています。
男性のみなさん、「夜会巻き」を知っていましたか?
ポニーテールやツインテールは女性特有の結い髪の中でもきわめて認知度が高いので、男性であれど誰でも知っているでしょうし、何ならそれらの髪型に対して萌えるという人も少なくないでしょう。
とはいえポニーテールやツインテールは、良くも悪くも「幼稚さ」や「未熟さ」を演出してしまいます。
こんな言い方をすると、「だからこそ、萌えるんじゃないか!」というお叱りを受けそうですが、何もポニーテールやツインテールを否定しているわけではありません。 どちらかといえば好きです。
特に普段はツンとしているプライドの高そうな女性が、体を動かすような場面においてさりげなくポニーテールにしたときのギャップはたまりません。
要は、よく言われるように髪型一つで他人からの印象は大きく変わります。
そして長くて美しい髪を持つ女性たちは、昔からTPOに合わせて髪型をアレンジして楽しんでいたのです。
そのアレンジ方法の一つが、夜会巻きです。
夜会巻きがどのような髪型なのかを簡単にご説明すると、女性の長い後ろ髪を位置ごとにブロッキングしながら束ね上げて、後頭部でキュっと一つにまとめる結い方になります。
単にヘアゴムで結わくときとは異なり、すっきりとした無駄のないフォルムに仕上がります。

夜会巻きのルーツは明治時代

時の日本は、江戸時代までとは大きく異なり、西洋の制度や習慣、文化を瞬く間に吸収していきました。まさに「文明開化」です。
西洋から入ってくるものは「何でも素晴らしい」と妄信していたともいえます。
そのような時代背景のなか、西洋との社交場として機能していた象徴的な場所が、今は無き「鹿鳴館」です。
鹿鳴館は現在でいう東京都千代田区にあった西洋館のことで、当時の外相・井上薫による欧化政策の一環として建設されました。
日本側のねらいとしては、西洋諸国との不平等条約を解消すること。
そのための外交拠点として鹿鳴館が重要だったのですが、のちに井上外交は失敗し、鹿鳴館が築いた一時代にも終止符が打たれることになります。
とはいえ、国賓をはじめとする外国からのゲストを接待する場であった鹿鳴館は、いわゆる上流階級の社交場として時代の先端を走っていました。
鹿鳴館ではしばしば舞踏会やパーティーが開かれたため、日本の貴婦人たちもドレスアップに磨きがかかります。
こうして、ドレスに似合う「夜会巻き」が流行していくのです。
もともと明治以前から「髷(まげ)」などを結わくことに慣れ親しんでいた日本人ですから、髷を基本として作りあげる「夜会巻き」というヘアアレンジをすんなりと取り入れることができました。
そして夜会巻きのすっきりとした無駄のないフォルムは、ドレスだけではなく着物などの和装とも相性がよいため、夜会巻きブームはさらなる盛り上がりを見せていくことになるのです。

現代の夜会巻き

時は進んで、現代においても夜会巻きは生きています。
「上品さ」や「華やかさ」、「清潔感」や「色っぽさ」まで演出することができる夜会巻きは、今なお一部の女性たちから強烈な支持を得ています。
それは旅館の女将やキャビンアテンダントなど接客の最高峰と考えられるような職業に及ぶこともあれば、結婚式の披露宴などで一般女性がハレの日に採用することもあります。
とはいえ多くの女性が「夜会巻き」に抱く印象として強いのは、「水商売」のようです。
もちろん水商売をしている女性の多くが、実際に夜会巻きを強烈に採用していることが大きな理由です。
何も知らない男性にはなかなかうかがい知れない女性特有の世界がそこにはあるようです。
「夜会巻き」という呼称が夜の世界との結びつきを強くしている気もしますが、元来はじまりは夜の社交場がルーツなので、時代を超えて本来あるべき姿を継承しているともいえるでしょう。
「上品さ」や「華やかさ」、「清潔感」や「色っぽさ」を演出できるなら、すべての女性が毎日でもすればいいと思ってしまいますが、女性の世界はそう単純でもないそうですよ。
いわゆる一般的なオフィスに突然夜会巻きで出勤しようものなら、「何よあの娘、夜会巻きなんかしちゃって」とお局様に陰でコソコソと噂されることもあるらしいですから。
TPOは現代でも重要なようですね。