【髪型の歴史シリーズ】貴族の髪型?!「みずら」の結い方や種類を解説!

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毎回ひとつの髪型を取り上げて、その歴史をご紹介する「髪型の歴史」シリーズ。
今回ご紹介する髪型は、「みずら」です。「みずら」と聞いてすぐに鮮明にイメージできる人は、よほどの古代史フリークかよほどの髪型マニアかと想像されます。なんせ現代で「みずら」をしている人は皆無に等しく、たまにコスプレイベントで見かけられるかどうかというほど激減しているからです。
あっ、とはいえこのギャグを聞けばぴんとくる人がいるかもしれません。それはひと昔前に、あるお笑い芸人が自身の長髪を活かしておこなうギャグでした。
「卑弥呼さまー!!」
そう叫びながらその芸人は「みずら」風の髪型をしていたのです。

時代は古代

「みずら」がもっともなされていた時代は古代です。 ということは、先ほどの「卑弥呼さまー!!」は時代背景的にまったく間違ってはいないのです。 もっと細かくいうと、古墳時代のものとして出土された男性埴輪にも「みずら」がしばしば見られたことから、最低でも古墳時代の男性には「みずら」が定着していたと考えられています。
つまり、卑弥呼さまの治める弥生時代の邪馬台国に「みずら」姿の男性がわんさかといた可能性はおおいにあり得るのです。
しかしながら現存する古代の文献は少ないため、精確なことを断言することは困難です。一般的には、「みずら」は奈良時代頃までの貴族男性の髪型であったといわれており、その後は中国からの影響下により成人男性が冠をかぶるようになったのち、少年にのみ「みずら」の風習が残ったといわれています。一説によると、一部では幕末の時代まで「みずら」の風習が残っていたそうです。
また、日本の神話である「古事記」のなかにも「みずら」を思わせる描写が散見します。男性埴輪に「みずら」が残っていることと合わせて考えても、当時は呪術的・神聖的な身分に近い高貴な男性にのみ「みずら」が許されていたことは説得力がありますよね。とはいえ、なぜあのような形なのかについては謎が残るばかりですが……。

みずらの形

ぴっちりと真ん中分けをしたあとに、左右それぞれの耳の横で髪をくくって垂らすのが、「みずら」の基本形です。しかしながら、髪の毛の垂れた部分を輪っかにしたり、8の字にしたりなどさまざまなアレンジが存在します。
残存している聖徳太子像には輪っかがひとつだけ見られることから、奈良時代に入ると輪っかひとつの「みずら」が主流であったと推測されます。ところが輪っかがひとつの「みずら」にもさらに二種類のアレンジがあるようで、毛先を垂らすものと垂らさないものがあるようです。
そのほか、「みずら」から変形した髪型として「総角(あげまき)」があります。総角は、真ん中分けのあとに両耳の上あたりで角状に髪をまとめたもので、こちらは男性だけではなく少女にも結われたそうです。

「みずら」の語源

これまで「みずら」とかな表記をしてきましたが、漢字ではいくつかの表記が存在します。なかでも最も広く使われている二つが、「角髪」と「美豆良」です。後者に近いものとして「美豆羅」と書く場合もあります。
筆者が個人的に注目しているのは前者の「角髪」のほうで、世界の少数民族などを見渡すと、往々にして動物の角のようなモチーフを人間(男性)が取り入れていることがあります。それは強さの象徴であったり、生物への敬意であったりするのでしょう。だから日本の古代に同じような発想をしていても何も不思議はないと思うのです。つまり、角が髪型として象徴されたのが「みずら」ではないだろうか……そんな気がしてなりません。
さて、そのほか研究者の見解では、「耳に連なる」から「みずら」だという説や、「美面」から「みずら」であるという説までさまざまです。みなさんはどの「みずら」を信じるでしょうか?

まとめ

主には古代の男性貴族の髪型であるとされている「みずら」についての理解は深まったでしょうか?決定的な証拠が少ないためにまだまだ未知の部分が多い髪型ですが、だからこそ想像が膨らんで面白い髪型ともいえます。もしかしたら現代に「みずら」がリバイバルされるなんてことも、もしかしたらあるかもしれませんよ。