髪の毛にまつわる言葉 地毛(ジゲ)ってなんで自毛じゃなくて地毛なの?

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A.これらの言葉の成り立ちは現段階ではわかりません。ただ、地毛を「ジゲ」と読むのに対して、自毛は「ジモウ」と読むのが主流です。
「自分の」髪の毛を指しているのですから、「地毛」よりも「自毛」という字を当てたほうがふさわしいのではないか……。
私もそう思っていました。
しかし多くの言葉が生まれては消え、また消えたと思っていたら少し姿を変えて息を吹き返すように、言葉に私たちの常識は通用しないものです。(私たちから生まれたはずの言葉に、常識が通用しないとは不思議ですよね。)
だから言葉の由来を一所懸命探るよりも、今現在、私たちはこれらの言葉をどのように使いわけているのかに迫ったほうが、より言葉の本質が見えてくると考えます。

「地声」=「ジゴエ」の法則から考える

おそらく、「ジゴエ」については、多くの方が「地声」という漢字をすぐに当てはめるかと思います。
まぎれもなく「自分の」声を指すので、「自声」でも良さそうなものですが、「地声」です。
その人が生まれつき持っている声。持ち前の声。
音楽で、裏声に対して、自然な発声法で出す声。
大辞林を引くと、「地声」は上のような定義になります。
つまりは、自分本来の声であり、自然な声だということ。
よりいっそう「自」を当てた「自声」のほうが的を射ている気さえしますが、もう「地声」で通っているのですから、つまらない追及はここで止めておきましょう。 「地」の声であることは疑いようがないわけですから。

ニュアンスの違い

「地毛」[自毛」に話をもどします。
今現在、私たちはどのようにこれらを使い分ける習慣があって、どのように使い分けることが心地いいのでしょうか。
肌感覚で享受するセンサーを研ぎ澄ませば、ニュアンスの微妙なちがいに気がつくかもしれません。
たとえば、日本人なのに髪が全体的にムラなく金髪の人は、ウィッグなのか染めているのわからないことがあります。
その人に対して真偽を確かめる際、「その髪はジゲですか?」と質問するときの「ジゲ」は、きっと「自毛(ジモウ)」かどうかについて尋ねています。
少しややこしい表現になりましたが、金髪でもパーマでも自分の髪の毛であれば「自毛(ジモウ)」。一方もっとピュアで、カラーもパーマもしていない自然に生えたままの地の髪の毛を「地毛(ジゲ)」と呼ぶよう、自然に使い分けてはいないでしょうか?
つまり、現段階では「地毛<自毛」といってもいいでしょう。
自毛(ジモウ)のほうがより多くの意味を含みます。カラーやパーマなどで多少手を加えていたとしても、自分の髪の毛である以上は「自毛(ジモウ)」になります。 「地毛(ジゲ)」には、人工的なプラスアルファを許さない気配がまだあるのです。
とはいえ頭髪に関するテクノロジーも日進月歩で進歩している今、植毛や増毛で手に入れた髪の毛まで「自毛(ジモウ)」と位置づけていいものでしょうか。
これへの回答はあくまで私の持論ですが、「いい」と思います。
たしかに人工的に手を加えているので「地毛(ジゲ)」とは呼べませんが、自分の髪の毛であることは確かです。ほかの誰かの髪の毛ではありません。
だから植毛にせよ増毛にせよ、正々堂々と「自毛(ジモウ)」と主張していいかと思います。 むしろ、そう主張できることで少しでも自分を好きになれる人が増えるなら、積極的にそうであるべきだろうと思います。
これがまさに私の持論ですが、みなさんはどうお考えになったでしょうか?
(細かい話になりますが、「持論」だって「自論」でも別にいいですよね……。)
実際、出版社の中にも「自毛」を「ジゲ」として載せているところもあります。し、さらに記者ハンドブックにおいてもその基準は明確な表記がありませんでした。
今後もまだ定義が変わっていくかもしれない言葉ですが、いずれにせよ、今みなさんが所有している「自毛」も「地毛」も大事にしていきましょう。